きのう、仕事中にいろいろと考えていました。(仕事中かよっ!というツッコミはさておき…)

「どうしてこんなに、自分は会社の中で孤独なんだろうか?どうしてこんなに、自分の存在を会社の中で感じられないんだろうか?」と。

本当に疑問でした。会社で誰一人ともしゃべらずに一日が終わる日もあれば、会社で一回も笑わずに一日を過ごした日もある。でも、他の人たちはなんだかんだ言いながらも、周りの人とつながりを持って仕事をして、雑談したり笑いあったりしながら会社での時間を過ごしている。この差は一体どこから来るんだろうか?って、真剣に悩んだんです。

そして昼休憩の時間にWell-beingに関する記事を読んでいると、会社の中でポジティブでいられる要素の中でも特に大事なのは、「雑談」と「敬意を持たれる」ことらしい。なるほど、それなら私は会社で孤独を感じるはずだ。だって周りの人と雑談することもなければ、敬意を持たれたような覚えもあまりない。ネガティブな気持ちになるのも当然なんだ、とますます落ち込みました。

…でも、よくよく考えてみると、私は周りの人に対して雑談をしているだろうか?そして、敬意を払う行為をしているだろうか?そう思うと、自分はあまり周りの人に関心を持っていなかったかもしれない。自分が置かれている状況について、あれこれと悲観的に考えることはあっても、相手がどう感じているか、そして相手に快い感情を抱いてもらうために、自分はどのような態度や表現をしたらよいのか?という観点では、自分はあまりにも考えが足りていなかったような気がしてきました。

じゃあ、どうして周りの人のことを考えることができなかったのか?たぶんそれは、自分自身に余裕がなかったからなんだと思います。周りの人への配慮や影響を考える前に、自分のことでいっぱいいっぱいで、とても相手のことを思いやる気持ちまで持てなかったんだ、と思いました。

…となると、自分のことを考えるだけの余裕はどうやって作ったらよいのだろうか?そして、ここで言う余裕というのが時間や場所でなく、気持ちの面での余裕、という意味だとしたら、どうやって気持ちに余裕を持てるようにしたらいいんだろうか?という疑問が湧いてきました。

この答えは私の推論になるのですが、おそらく自分のことを認めてくれる人がいて、自分自身の存在を肯定してくれる人がいたら、自分の気持ちは満たされて、そして満たされることで「気持ちの余裕」が生まれてくるのではないでしょうか?

そして「自分のことを認めてくれる人」「自分自身の存在を肯定してくれる人」というのは、とりもなおさず「自分」なのではないだろうか?自分のことを一番よくわかっているのは自分だし、自分と四六時中いつも一緒にいるのも自分だし、生まれてから死ぬまでずっと側にいて自分のことを見つめているのは、自分自身しかいない。だから、自分が自分を愛してあげる。何かができるから、とか何かを持っているから、ということではなく、無条件の愛(Unconditional Love)を持って、自分自身の存在を認めて、そのままの自分でいいんだよ、と肯定してあげる。つまり「自己受容」ができていれば、自分は安心することができ、気持ちに余裕が生まれて、その結果として周りの人にも優しくできたり敬意を払ったり雑談をしたりできるようになるのではなかろうか?

野口嘉則さんは「人は内面を投影した世界に住む」と言いました。バシャールは「現実は鏡に映ったリフレクション」と言いました。話の最初に戻って、「どうしてこんなに、自分は会社の中で孤独なんだろうか?どうしてこんなに、自分の存在を会社の中で感じられないんだろうか?」と思っていましたが、この現実世界が自分の内面を投影した世界なのであれば、私は自分自身の存在を認めていない、許していない、受け入れていないから、いつも孤独を感じて、自分の存在を感じることができなかったんだ!!ということに気がつきました。

まずは、自分が自分の存在を認めてあげる。そして、自分の気持ちが満たされることで、周りの人に敬意を払う気持ちが生まれて、そのような態度や行動をすることができる。その結果、周りの人が自分に対して敬意を払ってくれたり存在を認めてくれるようになる。そんなサイクルのイメージがしっくりきました。

自分が自分自身の存在を認めてあげる。つまり自己受容を進める。それが自分の周りの世界をポジティブなものに変えていくための最初のステップなんだな、と改めて感じた次第です。

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